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広島高等裁判所松江支部 平成3年(ネ)10号 判決 1992年1月31日

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

被控訴人は、昭和五九年三月二四日午後六時五五分ころ、鳥取県岩美郡国府町大字宮下三一三番地先路上を歩行中、対向進行してきた車両(以下「加害車両」という。)に衝突された(以下「本件事故」という。)。

2  控訴人の責任原因

本件事故は、いわゆるひき逃げ事故で加害車両の保有者が明らかでないため、被控訴人は控訴人に対し、自動車損害賠償保障法(以下、単に「法」という。)七二条一項に基づく損害てん補請求権を有し、平成元年二月六日右請求手続をなした。

3  損害

被控訴人は、本件事故により入院治療二四〇日、通院治療三か月(うち治療実日数二一日)を要する左脛骨膝関節内骨折、顔面挫創等の傷害を受け、同傷害は昭和六〇年二月二日症状固定をしたが、左膝については正座不能、しゃがみ込み・階段昇降等困難などの、顔については醜状を残す後遺症がある。

しかして、前者については自動車損害賠償保障法施行令(以下、単に「施行令」という。)別表一〇級一一号に、後者については一二級一四号に各該当し、結局、施行令二条一項二号ニにより被控訴人の後遺障害は全体として別表九級相当となるから後遺障害保険金は五二二万円である。

4  よって、被控訴人は控訴人に対し、法七二条一項に基づく損害てん補請求として金五二二万円及びこれに対する弁済期後である平成二年一月一日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の前段は認めるが、後段は争う。

三  抗弁

法七二条一項の損害てん補請求権(以下「保障金請求権」という。)は、いわゆるひき逃げ事故や無保険車事故のような特殊な場合の自動車事故における被害者を救済するという社会保障政策上の見地から特に設けられた公法上の請求権であるから、時効期間の起算点については民法一六六条一項所定の「権利を行使することを得る時」から時効が進行するところ、法七五条は保障金請求権の消滅時効期間を二年と定めている。被控訴人も認めるとおり、運輸大臣に対して本件保障金請求手続がなされたのは平成元年二月六日であるから、被控訴人の後遺症が症状固定し権利を行使できるようになった昭和六〇年二月二日から既に四年を経過し、本件保障金請求権は時効により消滅した。

四  抗弁に対する認否

争う。

五  被控訴人の主張

被控訴人が本件保障金請求権を行使するには、以下のとおり法律上の障碍が存したから、右消滅時効は昭和六四年一月六日まで進行しない。

1  施行規則二七条に定めるところによると、政府保障事業に対する保障金請求手続(以下、同手続を「保障金請求手続」という。)には損害のてん補を請求することができる理由を証するに足りる書面の添付が必要であり(同条一項五号、二項二号)、ひき逃げ事故に基づく請求手続の実際においては、実質的には捜査機関たる警察の証明である自動車安全運転センターの発行する交通事故証明書(以下「事故証明書」という。)が要求されている。政府の保障事業自体もとより公的制度であるから、交通事故について右のような公的証明制度が存在する以上、事故証明書の提出を求めることは当然の論理的帰結であり、被控訴人が一方当事者が不明である旨を記載した事故証明書(以下、便宜「ひき逃げ事故証明書」という。)ないしこれに準じた公的証明書類を入手できない限り、本件保障金請求権を行使することは法的に不可能である。

2  ところで、本件事故については、訴外西尾壽男(以下「西尾」という。)がひき逃げ犯人として自首して取調を受け、犯人として送検されているし、被控訴人を病院に見舞いさえしている。そして、事故証明書には西尾と被控訴人が本件事故当事者として記載され、被控訴人の治療費については同証明書により自賠責共済の支払い手続がなされた。西尾は、その後検察官による取調において否認、自白、否認という三転した態度を取り、その結果、嫌疑不十分を理由に不起訴処分となったのであるが、このような場合、自動車安全運転センターとしては、以後、ひき逃げ事故証明書を発行すべきであるし、既に発行した事故証明書の存するときは該証明申請者に対し、証明内容の変更を通知する義務があるといわねばならない。しかるに、被控訴人が消滅時効の完成を主張する昭和六二年二月二日の段階で、同センターが証明内容の変更をしていなかったことは、同年五月一八日付の事故証明書(甲一号証)によっても明らかである。

3  そこで、被控訴人は、ひき逃げ事故証明書に代わるべき公的証明を求めるため、西尾を相手取って訴訟を提起し(以下「別訴」という。)、あわせて控訴人に対する訴訟告知の手続をとった。なぜなら、ひき逃げ事故証明書を得られないために残された唯一の公的証明方法は裁判所の判断によるほかないからである。別訴は、被控訴人がその立証に全力を尽くしたにもかかわらず、西尾が本件事故当事者(加害車両の保有者)であるとの証明がないとの理由により棄却され、昭和六四年一月六日の経過により被控訴人の敗訴が確定したが、被控訴人は右判決の確定により初めて、本件事故をひき逃げ事故とする公的証明を得ることができ、本件保障金請求権を法律上行使できるようになったのであるから、この間消滅時効は進行していないというべきである。

付言するに、西尾に対する嫌疑不十分を理由とする不起訴処分は、犯罪の証明(公訴の維持)に足る証拠が不足しているとの検察官の判断にすぎず、積極的に不法行為の存在を否定するものではないし、西尾の自首、自白、その他の客観的事情からして、被控訴人が西尾をひき逃げ犯人であると考え、加害者不明として本件保障金請求手続を取らなかったことに過失は存しないものである。

六  控訴人の主張

1  被控訴人の症状固定時における事故証明書に西尾が当事者として記載されていたこと、また、一般に、保障金請求手続において施行規則二七条二項二号の書面として事故証明書が利用されているのは事実である。しかし、被控訴人のように、ひき逃げ事故による被害者でありながら、ひき逃げ事故証明書を入手できない場合には、ひき逃げ事故であることを一応裏付ける資料を提出すれば手続的な障害はないのであり、ひき逃げ事故証明書ないし判決等の公的証明書の添付がなければ保障金請求手続ができないとの主張は誤解に基づくものである。したがって、本件保障金請求権は被控訴人の症状固定日の翌日である昭和六〇年二月三日から行使できたものといわねばならない。

2  なお、民法一六六条一項所定の「権利を行使することを得る時」との規定を「権利を行使し得ることを知り得るとき」と解するとしても、西尾に対する不起訴処分は昭和六一年二月二七日付でなされ、これを理由に同日付で被控訴人に対する自賠責共済の支給も打ち切られているのであり、被控訴人はその時点で西尾が加害者でないことを知り得たし、また、昭和六一年五月八日国府町農協に対し後遺症についての責任共済金を請求する意向を示した際にも、担当職員から西尾が加害者でないことを理由にこれを拒絶されているのであるから、そのころには本件保障金請求をなし得ることを知り得たというべきである。

そうすると、本件保障金請求権は、少なくとも昭和六三年二月二七日あるいは同年五月八日の経過により、いずれにせよ時効消滅している。

第三  証拠(省略)

理由

一  請求原因1(本件事故の発生)、2(本件保障金請求権の存在)の事実は当事者間に争いがない。

二  よって、損害の確定に先立ち抗弁につき検討を進めるに、当時者間に争いのない請求原因1の事実、原本の存在及び成立に争いがない甲一、三、一八号証、二三ないし二七号証、三一ないし三四号証、四三、四四号証、六二ないし六六号証、七二ないし七六号証、八四ないし八六号証、八八ないし九〇号証、成立に争いがない甲九二、九三号証、九五号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、本件保障金請求手続に至る基本的事実経過として以下1、2の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

1  被控訴人は、昭和五九年三月二四日午後六時五五分ころ、本件事故現場である道路右側を町屋方面に向けて帰宅途中、対向進行してきた加害車両にひき逃げされた。そして、ひき逃げ事故として直ちに警察の捜査が開始されたが、被控訴人は雨のなか傘をさしての歩行であったこともあって加害車両を見ておらず、事故の目撃者も加害車両を特定できなかった。

本件事故現場付近に居住する西尾は、同日午後七時前ころ相当程度酒に酔った状態で車を運転して帰宅して寝入ったが、同人の妻は、飲酒運転を心配する子供からの電話で車を見分したところ、ボンネットの左前部、前照灯の上部付近、助手席フロントガラス外側の付け根付近に擦過痕や凹損が見られたことや、そのころ事故を予測させる救急車のサイレン音を聞いたことから、夫が交通事故を起こしたのではないかと心配し、現場付近を捜査中の警察官に届け出、西尾がひき逃げ容疑者として取り調べを受けることになった。西尾は、本件事故を起こしたとの認識はなかったが、酔いのため運転時の記憶を辿れないため、不本意ながらも妻につき添われるなどしてその後二度にわたり被控訴人を見舞って謝罪し、見舞金を送るなどした。しかし、西尾は、司法警察員に対する昭和五九年四月二三日付供述調書において自白したほかは事故当夜以来一貫して本件事故への関与を否定しており、昭和五九年一二月一一日否認のまま送検された。その後も、検察官に対する昭和六〇年二月四日付供述調書において自白した以外は同じく否認を続け、昭和六一年二月二七日嫌疑不十分により不起訴処分がなされた。

2  被控訴人は、西尾を事故当事者とする事故証明書により自賠責共済から治療費の給付を受け、昭和六〇年二月二日後遺症の症状固定をみたのであるが、西尾の不起訴処分と同時に共済給付を打ち切られ、昭和六一年五月八日には後遺症に基づく共済金の請求も担当者により拒絶された。このため、被控訴人は、昭和六二年一一月二〇日西尾を相手取り、逸失利益、慰謝料の合計五二二万円の支払いを求めて別訴を提起するとともに控訴人に訴訟告知したが、昭和六三年一二月二三日、西尾が本件加害車両の保有者(ひき逃げ当事者)とは認め難いとの理由で敗訴判決を受け、右判決は昭和六四年一月六日の経過により確定した。そこで、被控訴人は、平成元年二月六日本件保障金請求手続をなしたが、消滅時効の完成を理由にこれを却下された。

三  ところで、法一条の掲げる目的、第五章の各規定の趣旨を総合してみると、政府による自動車損害賠償保障事業は、自動車の保有者が明らかでないため保有者に対し責任の追求をすることができないときなど自賠責保険制度になじまない特殊の場合における被害者を救済するため、社会保障政策的見地から特に、とりあえず政府において被害者に対し損害賠償義務者に代わり損害のてん補をすることを目した救済制度であり(最高裁判所昭和五四年一二月四日第三小法廷判決、民集三三巻七号七二三頁参照)、かかる制度・目的に照らしてみれば保障金請求権は法七二条一項により創設された権利であって不法行為による損害賠償請求権と自ら性質を異にするものと考えられる。したがって、その消滅時効は一般原則規定である民法一六六条一項の規定により「権利を行使することを得る時」から進行することとなる。

四  そこで、被控訴人は、施行規則二七条一、二項によれば、保障金請求手続においてはひき逃げ事故であることを証する公的証明書の添付が要求され、別訴の敗訴判決が確定するまでは本件保障金請求手続をとり得なかったのであるから、同請求権の行使に法律的障碍があった旨主張するので検討する。

1  思うに、法七二条三項、施行規則二七条一、二項によれば、請求者が保障金請求権を行使する方法として保障金請求手続によることが規定されているのであるが、元来、保障金請求権は法七二条一項の要件が存在する場合、法により直ちに付与され、かつ、政府に対し直接請求行使できるものであるから、例えば、請求者が保障金請求手続に則った必要書類を入手できないなどの理由で同手続をとれない場合や政府により右手続を拒絶された場合には、直接給付を求めて出訴し保障金請求権の実現を図ることを妨げないというべきである。けだし、法七七条、施行令二二条一、三項、自動車損害賠償保障事業業務委託契約準則等の関係法令、諸規定にかんがみれば、保障金請求手続は、前叙の自動車損害賠償保障事業制度が設けられた趣旨・目的から、政府が主体となって受託者である保険会社等の調査能力を活用し、簡易・迅速に保障金の支払いを実現するために設けられた手続であり(保障事業の業務の執行にあたっては、政府は、保障金の請求の受付及び支払、損害額及び賠償責任者の調査等の業務を保険会社等に委託しており、請求者は保険会社または農協の窓口を通じて保障金請求手続をとることになる。)、この点において、被害者救済の側面では自賠責保険金における被害者請求の制度・手続(法一六条一項、施行令三条参照)と同様に位置付けられるゆえにである。したがって、訴の提起(もとより、請求権の有無は請求者において判断すべきことがらである。)を妨げる事情も窺えない本件にあって、保障金請求手続を利用できないとの一事をもって、保障金請求権の行使に法律上の障碍があるとの主張は採用できない。

2  しかのみならず、これを保障金請求手続に限定して検討しても、被控訴人の主張は採用に由ないものと考えられる。すなわち、保障金請求手続においても、施行規則二七条二項二号の規定自体、いうところの「政府に対し損害のてん補を請求することができる理由を証するに足りる書面」(以下「二号証明書面」という。)を事故証明書ないしこれに準ずる公的証明書面に限定していないし、現に、成立に争いがない乙七、八号証の各一ないし五、弁論の全趣旨及びこれにより真正に成立したものと認められる乙四号証によると、警察がひき逃げ事故として扱わなかった等の理由でひき逃げ事故証明書の発行を受けられない場合は、ひき逃げ事故証明入手不能理由書を添付する等により保障金請求手続をとることが可能であり、また、本件のように、加害容疑者はあっても、その者が加害事実を強く否認して係争中のような場合には、賠償責任者が確定していないものとして、とりあえずひき逃げ事故として手続を進め、被害者の救済を図っていることが認められる(ちなみに、本件では、平成元年二月六日までの間被控訴人が保障金請求手続をとった証跡もない。)。

被控訴人は、二号証明書面として事故証明書ないしこれに準じた公的証明書が要求され、右のような取り扱いが保障事業制度の趣旨に合致しない旨主張するもののごとくであるが、同手続において二号証明書面を要求している実質的理由にさかのぼって検討してみても、右主張は採用できない。けだし、前叙のとおり保障金請求権発生の有無及び行使の可否は法七二条一項所定の要件の存否にかかるのであり、仮に請求者が被控訴人主張のような二号証明書面を添付して保障金請求手続をなしたとしても、政府はこれと別に、改めて事故発生の有無等必要な調査を遂げて保障金請求権の有無を決定することを要し、かかる二号証明書面の添付がなされたことにより当然法七二条一項の実体要件が充足されたものとして取り扱うことは予定されていないから、およそ二号証明書面として被控訴人主張のような公的制度に基づく証明書を要求する実質的理由に欠けるからである。

そうすると、保障金請求手続において、施行規則二七条一項所定の書面のほかに二号証明書面が要求されている趣旨は、請求者において当該事故がひき逃げ事故によるものであると窺わしめるに足る合理的な根拠を提示することにあって、これを事故証明書ないし公的制度に基づく証明書面に限定すべき合理的な理由はないというべきであり、保障金請求手続の実際において事故証明書が利用されているのも、右が警察の捜査結果に合致して真実の蓋然性が高いこと並びに事故当事者において入手が容易であること(自動車安全運転センター法二九条一項三号、三一条、同法施行規則一〇条参照)に主たる理由があると解するのが相当である。

3  以上のとおりであってみれば、別訴の敗訴判決が確定するまで本件保障金の権利行使に法律上の障碍が存し、消滅時効が進行しないとする被控訴人の主張は、以上いずれの観点から検討しても採用できない。

してみると、本件保障金請求権の消滅時効は、被控訴人が権利を行使できるようになった昭和六〇年二月三日(後遺症の症状固定日の翌日)から進行し、昭和六二年二月二日の経過により完成したものと判断するのが相当である。なお、被控訴人は、消滅時効完成前に本件保障金請求権を行使しなかったことに無理からぬ事情があった旨主張しているが、前記認定の事実関係や時効制度の趣旨に照らし、本件ではこれを容れる余地はないものといわざるをえない。

五  以上のとおりであって、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がなく、これを一部認容した原判決は不当であり、本件控訴は理由がある。

よって、原判決中、控訴人敗訴部分を取消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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